H・Mさん 31歳女性 日本語教師
出身:群馬県
居住:フランス
学歴:大学卒
家族構成:父、母、姉
年収:100万円
大量のメール、勝手に待受け画像、上司に恋愛感情を抱かれた社会人1年目
– 現在フランス在住とのことですが、それまでは何を?
早稲田大学を卒業後、メガバンクで営業を3年間経験し、外資系の企業に転職。そこで秘書を4年勤め、退職してフランスに渡りました。
– なぜメガバンクを選んだのでしょうか。
正直、ステータスですね。当時は考えがコンサバだったので。安定していて、知名度もあり、クビにもならない。家族も親戚も安心するだろうし、世間体もよかったですから。
– なぜ辞められた?
実は、セクハラとパワハラに悩まされて…。体重は15kgも減って、心療内科に通うようになり、結局最後の1年間は休職をしてしまいました。
– セクハラとはどんな?
当時37歳の上司とほぼ2人きりで仕事をしていたのですが、その方が私のことを好きになってしまったようなんです…。既婚者で、気のある素振りを見せたつもりもないのですが、やはり長い時間一緒だから、勘違いというか、倒錯状態になってしまったのかもしれません。
私の写真を待ち受けにしていたり、長文のメールや手紙が1日に何十通も届いたり。逆らうこともできず、ストレスでどんどん痩せていきました。
– それは大変でしたね。
そのうち、私にその気がないことがわかったからなのか、パワハラに変化していきました。他の男性社員と話すと、あとで2人っきりになった際に物を投げられたり、「あばずれ」と大声で罵倒されたり…。
ある時、心の糸がプッツリ切れちゃって。会社に行くことができなくなりました。今でも、その人の苗字を聞いたり、似た人を見かけるだけで動けなくなりますね。
– 誰かに相談しましたか。
一度、人事部に相談したのですが、その人は「彼女が誘った」と言ったらしいんです。それで、また2人きりになると「僕だけ人生失敗するなんてありえない」「絶対にお前も巻き込む」と…。もう怖くてそれ以上何もできませんでした。
その頃は毎日闇の中にいるような感じで、本当に辛かったですね。休職しているのも後ろめたいから、車や電車にはねられれば、休む正当な理由になるんじゃないかと本気で考えていました。
– 転職した2社目はいかがでしたか。
外資系だからか、人間関係もさっぱりしていて、非常に働きやすかったですね。不満もなく4年間過ごせましたが、やはり海外へ行く夢が諦めきれませんでした。
保守的な考えが一転、30歳を前にフランスへ
– 仕事は順調だったのに、なぜ辞めたのでしょうか。
ワーキングホリデーのビザは30歳までに取る必要があるのですが、もう29歳だったので、決断が迫っていました。
ものすごく悩んだんです。キャリア、世間体、友だち、家族。それでも、行かなかったら一生後悔すると思い、決断しました。
– なぜフランスを選んだ?
行ったことのある国が、アメリカ、カナダ、イギリス、そしてフランスだったのですが、フランスの人が一番人生を楽しんでいるように見えたんです。食事も時間をかけて食べるし、夜も楽しく過ごす。バケーションも長く、家族を大事にしているところなどに惹かれましたね。
– 元々、海外志向があった?
幼稚園の頃に外国人の先生が来て、すごく興奮したのを覚えています。それに、近所に住んでいた日米ハーフの方と20年以上文通しています。海外から届く手紙、写真、ビデオ、本などはいつも刺激的で、いつか行ってみたいと思うようになりました。
– ご家族は反対しませんでしたか。
海外に行きたい気持ちは知っていたし、人の言うことを聞かない私の性格も知っているので、何も言わず応援してくれました。今は本当に感謝しています。
– 保守的な性格が、なぜそんなに変わったのでしょうね。
自分ではわからないのですが、むしろ、海外に来てから自分の性格は変わったと思います。
いろんなトラブルに遭い、1年先もわからない立場になり、考えても仕方ない、自分の力でどうしようもないことは考えない、という癖がつきました。
– 実際の生活はいかがですか。
日本語教師の仕事をしているのですが、年収は100万円程度なので、生活は相当苦しいですね。海外だから我慢できますが、日本で同じ生活は無理かもしれません。割といいお給料ももらっていましたしね。
コンドーム飛び交う教室。不良ばかりの環境から抜け出したかった中学時代
– どんな学生時代でしたか?
小中と、いわゆる優等生ですね。成績はずっとトップでした。毎年学級委員長をやるような、先生のお気に入りタイプです。
でも中学時代は、いい思い出はないかな。
– といいますと?
とにかく、先生の話なんて誰も聞かない学校でした。授業中に風船が飛んできたので、何かと思ったらコンドームだった、なんてこともありました。勉強をしているといじめられるような学校でしたから、学校ではわざと先生の話を聞かず、家で毎日11時頃まで勉強しましたね。
– 勉強を続けられたモチベーションは?
その集団から抜け出したいという気持ちだけです。コミュニティ、田舎、不良グループと縁を切りたいという思いだけですね。
なので、高校はとってもハッピーでした。みんなが静かに先生の話を聞いているとか、音楽で歌を歌えるとか、当たり前のことに感動しました。勉強できる喜びを感じましたね。
先のことを考えすぎて動けなかった過去。今は一歩踏み出すことを大事に
– 今までの人生を振り返っていかがですか。
家族はもちろん、出会えた人に心から応援してもらえるのは幸せだと思います。特に、文通している女性に出会えていなかったら今の自分はないので、巡りあわせに感謝ですよね。この間、パリから絵葉書を送ったら、とても驚いて喜んでくれました。
– もし戻れるなら、何歳頃がいいですか?
戻りたくないですね。今が一番。過去があるから今があるんだと思います。
– もっと早く海外に来ていればとは?
それも思いません。10年悩んで来たことに意味があるはずですから。もっと早かったら、人のことも考えられない薄っぺらい人生だったんじゃないかな。
– 勉強ばかりしすぎたとも思いませんか?
勉強は大事ですよ。人柄や中身だなんて言いますが、ぶっちゃけ学歴も重要です。就職だって、名のあるところで働けば海外に行っても信用度上がりますし。早稲田を出て、各業界に知り合いができたのもやっぱりよかったと思えますよ。
– 結婚願望はありますか?
もちろんありますが、自分自身がどんな仕事をするのか、どう生きていくかが先決ですね。まず地に足をつけないと、実りある恋愛もできない気がします。
– 今後のキャリアはどのように描いていますか?
フランス滞在のビザが切れるので、次はドイツに行きたいんです。昔は、10年後の姿とかよく考えていたのですが、それでがんじがらめになって動けかなったので、目の前のことに集中して、自分が信じたことをやりたいと思います。
一歩踏み出すと見えてくる世界も変わりますから、その時に考えたいですね。
Photos by Moyan Brenn / RedCraig / tommy@chau / Donna Benjamin / Rose Morelli