M・Iさん 32歳女性 主婦兼フリーランス
出身:愛知県
居住:愛知県
学歴:専門学校中退
家族:夫、長女(3歳)、次女(1歳)
家庭環境:父、母、妹
年収:50万円
世帯年収:400万円
自分で学費を稼いで通った専門学校。しかし志半ばで中退
– 最終学歴以降のお仕事を教えて頂けますか。
21歳で専門学校を中退。24歳まで歯科助手の正社員、コールセンタースタッフを27歳まで。28歳で結婚し、同じ年に妊娠出産、そこから専業主婦です。子育てのかたわら、フリーランスとしてネットショップの顧客対応などをしています。
– 専門学校はなぜ中退されたのでしょうか。
年間200万円くらいかかる学校だったんですが、自分で学費を払っていたんですね。歯科助手のアルバイトをしながら課題もこなし、寝る間もなく頑張ったんですが、もう限界だなと。3年生まで通ったのでぎりぎりまで悩んだのですが、アルバイトしていた医院で正社員として雇ってくれる話も頂いたので、思い切って辞めました。
– ご両親は学費を出してくれなかった?
親が「義務教育は高校まで」という考え方で、それ以上は出さないと前々から言われていましたね。
– それを言われた時はどのように思いましたか?
周りはみんな親が出してるのに……と少しは思いましたが、親は選べないですから納得するしかないですよね。
– ご実家の経済的な問題でしょうか?
自営業だったのですが、それほど困窮してはなかったと思います。父がギャンブル好きだったので、もしかしたら多少そういったこともあったのかもしれませんが。
境界性人格障害を発症。27歳までの記憶は曖昧
– ご自身はどんな性格だと思われますか。
神経質ですね。規律から外れるのが嫌いです。あとは、何でもきっちりやろうとしすぎる。加減を知らないと周囲から言われます。実は、下の子が切迫早産気味だったのですが、誰かに頼るのが嫌で結局入院してしまいました。夫には頼れますが、義母に頼って気を遣うのが嫌なんです。それなら無理してでも自分でやってしまう。プライドが高いんだと思います。
あと、過去に境界性人格障害という病気を患っていました。
– それはどういった病気ですか?
精神が不安定になったり、感情の制御が効かなくなって、本来の人格が歪んでしまうような状態ですね。19歳で発症し、27歳頃まで続きました。だから、その間の記憶はすごく曖昧なんです。
– 曖昧といいますと?
この人と会ったとか、あそこに行ったとか、断片的には覚えているのですが、記憶が飛び飛びなんです。穴だらけ。原因が薬なのか病気なのかはわからないのですが、夫に聞くと、泣いたり喚いたり、薬を大量に飲んだり、リストカットまではしなかったらしいですが、手がつけられない状態だったらしいです。
夫との思い出でも、結構忘れていることがあります。「ここ行ったよね」と言われても、まったく覚えていない。でもディズニーランドに行ったことは覚えていますね。何を覚えてて、何を忘れているのかは自分ではよくわかりません。
27歳で薬を飲むのをやめ治ったのですが、それまでの友だちの連絡先が消えていたり、連絡しても返事がありませんでした。
– 記憶がない間に、何かあったんでしょうかね。
そうかもしれませんね。約束を破ったのか、ひどいことを言ってしまったのか。学生時代からすごく仲が良かった子も、今は音信不通です。あまりしつこくするのも悪いので「あの時私はこういう状況でした。ごめんなさい」とだけ連絡しましたが、それでも返事は来ません。悲しいけど、それも自分だったのだから仕方ないのかもしれませんね。
– 当時はどのような思いで過ごしていらっしゃったのでしょうか。
出口が見えないのが一番辛かったですね。いつになったら治るんだろう、これが永遠に続くのだろうか、毎日毎日そればかり考えていました。薬を大量に飲んで、10日間くらい寝たきりになった時は、自分は一体何をしてるんだと。
– 寝たきりの状態にまでなるんですね。
食事やトイレなど日常生活の最低限のことはできるのですが、それ以外はほぼ布団の上。廃人のような生活をしてた頃もありました。その頃、友人に送ったメールを見返してみると、意味不明な文章が書いてあるんです。何を伝えたかったのかも覚えていないんですが。
– 今のご主人は、その病気を知った上でお付き合いし、結婚されたんですね。
そうですね。出会ったのは、ちょうど症状が出はじめた頃でした。実は、最初は「統合失調症」という別の病気だと言われていたんです。しかし夫は何か違うと感じていたみたいで。自分でいろいろ調べて、ある日「境界性人格障害じゃないか」と言いはじめました。それで大学病院にいって詳しく調べたら、そのように診断されたんです。その頃から夫が言っていたのは、お前は本来はそんな性格ではないと。今は病気でめちゃくちゃなこともあるけど、元はちゃんとした人間だと思っている。だから結婚したと言っていますね。
– 素敵なご主人ですね。
出会ってなければおそらく今も独身で、病気も治っていなかったと思います。のらりくらりと生きていたでしょうね。
– それまでにお付き合いされた方には感じなかったものがありますか?
みんな目を背けていたように思います。今はボーダー(境界性人格障害)ってネットでも有名になって。どちらかというと、出会ったら逃げろとか避けろとか、そういう面での有名ですが。当時は知名度がなく、言っても理解してくれませんでしたね。「あっそう」って感じ。若かったし、結婚まで考えていなかったのもあるでしょうね。でも今の夫だけは違ったかな。病気を理解してくれて、根気強く向き合ってくれました。それがわかったので、これからずっと一緒にいても大丈夫だろうと思いました。
母に病気を打ち明けた際の返事は、「そんなことは私に関係ない」
– ご両親は病気のことをご存知なのでしょうか。
言いましが、聞いてくれませんでした。「境界性人格障害だと診断された」と伝えたら「そんなこと私には関係ない」と。この病気は、親の影響が強いものといわれてるんですね。幼少期に束縛が強かったとか、しつけが厳しすぎるとなりやすい病気なんですが、それを説明しても「あんたは私が間違っていたと言うのか」と言われ、ケンカになりそうだったのでそれ以上言うのはやめました。
– ご自身ではきっかけは何だと思われますか?
母に意見を言ったり、否定的な言動をすると、ヒステリーを起こすんです。女性特有の、キーッとなるような感じですね。たとえば、小学校で「タバコは体に悪い」と教わるじゃないですか。母は喫煙者だったので「お母さんに長生きして欲しいから、タバコはやめた方がいいんじゃない?」と言ったんです。そうしたら「気に入らないなら出ていけ」と言われました。そんなことが重なって、もう何も言えないと思いました。もうずっと黙っていようと。
それで、いつの間にか内に閉じこめる癖がつき、反抗期もありませんでした。自分では、原因はそこじゃないかと思います。言えなかった自分も悪いし、親も悪いとは言いたくありませんが、話は聞いて欲しかったかな。
– その頃お父様は?
典型的な職人肌というか、家庭のことには口を出さない人でした。両親がケンカをしていても、母が一方的に怒鳴って、父は何も言わない状態ですね。
– 妹さんがいらっしゃるそうですが、同じような病気には?
境界性人格障害とは言われていませんが、情緒不安定なところはあるように思います。ピアスを両耳に10個、舌にも開けていましたね。ファッションも奇抜で。
– 自傷行為をしてしまう傾向があるのでしょうか。
わかりませんが、バランスを取ろうとするように思います。妹は体を傷つけることで、私は病気となってひずみが出てしまった。少なくとも、妹も自分もいわゆる普通の子ではなかったですね。
– 今お母様に思うことはありますか?
自分が母になってわかったのですが、子育ては本当に大変です。だから当時も、母なりに大変だったのだろうと思うと、責める気持ちはありません。ただ、子どもに同じことはしたくない。母はこうしろあぁしろというタイプでしたが、自分は自由にやらせようと思っています。自分で考えて、好きな道を進んで欲しい。私はこう思うが、あなたはどう思う、と必ず意見を言わせるようにしています。自分で考える力をつけさせたいので。
克服のきっかけは妊娠。頭の中がクリアになるのがわかった
– 克服されたきっかけは何だったのでしょうか。
妊娠したことです。医者から、体に影響のない薬もあるとも言われたのですが、もうここで1度リセットしなければいけないと強く思いはじめました。子どものために歯を食いしばって、もう母親になるんだからと。医者に行くのをやめ、薬も勝手にやめてしまいました。私の場合なので、おすすめはできません。
ただ、それがなかったら絶対治っていなかったと思います。
– 薬を断ち、どのように変わっていきましたか?
しばらくはすごく辛かったです。でも、段々と頭の中がクリアになっていくのがわかりました。感情の起伏もなくなり、普通の人と同じ頭の回転になるというか。それまでは、頭が回らなくてフワフワしているように感じていたんです。たとえば、一度通った道でもまったく覚えられなかった。だから外に出ると常に迷子ですよね。それが覚えられるようになる。当たり前のことですが、それすらもできなかったんです。夫にも、別人のようだと言われました。それでも、どうしても記憶だけは戻りませんね。
– 病気を克服したことで、人生観は変わりましたか?
達観した考え方になったかもしれません。何があっても「まぁいいか」という感じ。深く思いつめることがなくなりましたね。妊娠も出産も痛かったけど、永遠に続くわけではない。いつ終わるかわからない苦しみは恐怖ですよね。どんなことがあっても、あの頃よりは全然楽。平気で乗り越えられます。
– 同じ病気に苦しんでいる方に、メッセージをお願いできますか。
頑張れば治ります、かな。病気の最中は治らない気がするけど、努力すればちゃんと治りますよって言ってあげたい。薬を飲んでいるとたしかに楽になりますが、一時しのぎなんです。年月が経てば経つほど、薬に依存してしまう。
治したい、治すんだという強い意志。それに自分がやるべき使命、私の場合は出産だったわけですが、それがあればなおいいと思います。人格障害は人格の障害であって、元々の人格ではないんです。治らないって言われがちですが、治る病気だよと。
洗濯、料理、子どもたち。平凡な日常が最高の幸せだと感じる
– 今一番幸せな時間はいつですか?
何気ない日常ですね。洗濯したり、料理作ったり、子どもと話したり。「あぁ、私は平凡を手に入れたんだ」と感じます。平凡に勝る幸せはないですよ。この幸せをなくさないために、自分ができることなら何でもやりたいと思います。
– では、今一番悩んでいることは?
育児方法が合っているのかと悩むことはありますね。長女はちょっと反抗期がはじまってて、言い聞かせるのがいいのか、怒るのがいいのか、違う方法がいいのか。育児書は読まないようにしているんです。人はそれぞれ違うので、育児書ありきではないはずだと。でも難しいですね。その子が何を思っているのか聞き出すのは。
– お子様にはどんな大人になって欲しいですか。
人生楽しんで欲しい。自分の好きなことをやって欲しい。性転換して男になっても構わないです。人生は生まれた時からその子のもので、私は手助けをするだけです。
– もし戻れるなら何歳頃がいいですか?
幼稚園の年少かな。
– それはなぜでしょうか。
その辺りから人格が形成されると思うので、もうちょっと楽に生きられたら、母親とうまくやれていたらなと思います。そこからやり直させたら、性格も変わっていたのかなと。でも相手ありきですからね。変わらなかったかな……。わからない。うーん……、どうでしょうかね。
Photos by Moyan Brenn / darkday / Thomas Pompernigg / Jonathan Kos-Read