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A・Sさん 37歳女性 専業主婦
出身:岡山県
居住:フランス
学歴:大学卒
家族:夫、長女(3歳)
家庭環境:父、母、兄
世帯年収:360万円

26歳で音楽修業のためフランスへ。背景には人間関係での迷いも

– 現在フランスにお住まいとのことですが、経緯を教えて頂けますか。

音大を出て、大学の付属校で4年ほど非常勤講師をしていました。立場としてはフリーランスですね。でももう少し勉強したいという思いが強く、2005年に26歳でパリに留学しました。学生時代、フランス人教授のレッスンに感銘を受け、行くならその先生の元と決めていたのです。

30歳の時、留学中に出会った夫と結婚し今に至ります。

– ご家族の反対などはなかったのでしょうか。

特になかったですね。ただ、両親はせいぜい3年くらいだろうと思っていたみたいですが、私は最初からフランスで仕事を見つけて永住してやろうと思っていました。できれば日本に帰りたくなかった。日本の人間関係に疲れていたんです。

– 人間関係とは?

田舎でコミュニティが狭かったこともあるのか、年配のドンみたいな人の権力が強いんですよ。私自身、そういった年上のおばさまに好かれるタイプではありませんでした。若いくせに、ゴマすりも下手で。つまらないことでくよくよ悩んでしまいました。

– 細かいことを気にする性格?

多分そうでしょうね。それを見せたくなくて、気を張ってしまう感じでしょうか。力の抜き方がわからず、頑張ろうとしすぎてました。夫にもよくマイナス思考だと言われます。彼はポジティブで「なんとかなるよ」って感じなのに、私は「でもこうなったらどうする?」って。それでしょっちゅうケンカになりますね。

– 音楽を仕事にしようと思ったのはいつ頃ですか?

高2の春頃、そろそろ進学を考えた時に、友人が「音楽の先生になりたい」と言ったんですね。私はその頃図書館司書にでもなろうかと思っていたのですが、それを聞いて、自分にもそんな道があるのではと思ったのです。そこからレッスンを受けはじめ、推薦入試で大学に入りました。

冷たいのはパリジャン。田舎の人はみな明るく朗らか

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– 異国で暮らすにあたり、日本人ならではのご苦労はありますか?

どうせフランス語を話せないだろうと、高をくくられてるのはたまにあります。アジア蔑視も感じなくはないですね。夫には話すけど、私には話しかけない人とかいますから。やはり年代が上の、身近に異人種がいないような人たちですかね。

あとは、やっぱりテロが身近にあることです。パリやベルギーの時は、やはり自分は戦争している国にいるんだと実感しました。

– フランスの方は冷たいというイメージもありますが。

優しい人が多いですよ。子どもがベビーカーの頃、電車やバスでは必ず誰かが助けてくれました。それが当たり前の雰囲気がありますね。日本は仕事中はすごく丁寧で優しいのに、プライベートだと見て見ぬ振りする感じがしますが、こっちは逆ですね。仕事の対応は悪いですから。

ただ、パリジャンはちょっと冷たいところはあるかもしれません。地方に対する東京人みたいな感じでしょうか。それでも、電車ではみんな助けてくれましたよ。

– パリとその他の地方は違うんですね。

違いますね。私も最初はパリしか知りませんでしたが、地方の人はみな笑顔で、ゆったりしてます。地方のフランス人も「あの人はパリジャンだからね」みたいな。本当に東京と地方に似てますね。

– フランス語はどうやって勉強されたのですか?

岡山県の田舎だったので学校もなく、独学でした。NHKのラジオ講座とか。それでもいざフランスに来た当初は、会話についていけなかったですね。1対1なら向こうもゆっくり話してくれますが、複数になるとまったく聞き取れなくて。日常生活に困らなくなったのは3年目くらいかな。

日本には帰らない。フランス永住を決めた思いと、うつ病に罹患した出来事

– 現在、うつ病で投薬中とのことですが、原因は何だったのでしょうか。

こちらでは、フリーランスのミュージシャンでも、一定の基準を満たせば奨学金的なものをもらえる制度があるんですね。私もそのためにずっと頑張ってきたのですが、役所の人がその書類を紛失してしまって。金額でいうと240万円くらいがパーになりました。

– 240万円も! 向こうのミスでもらえなくなってしまったんですね。

はい。金額もそうですが、その制度を獲得するのが目標だったので、すごくショックでした。何度か申し立てましたが、全部却下。フランスが大嫌いになりました。今までで一番泣いたのではないでしょうか。

実はその頃妊娠中で、さらには嫁姑問題も勃発してしまい。出産1年後くらいから薬を飲みはじめましたね。

– フランスにも嫁姑問題があるのですか。

こちらは、日本人と比べるとやはり繊細ではないというか、無神経な人が多いですよね。姑は、その典型的な人かな。あと、夫のことをまだ子どもだと思っているタイプのお母さんですね。

マイナス思考の性格を形成した、幼き頃の母との日々

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– 人生の中で、もし戻れるとしたら何歳頃がいいですか?

22歳ですね。

– それはなぜでしょうか。

その頃、すぐフランスに来ていればよかったと思います。フランスの学校は年齢制限が多くて、入りたかった学校も26歳ではダメだったんです。それはちょっと後悔しています。もし戻れたら、すぐフランスに行ってますね。

– ご自身の性格で嫌いなところはありますか。

やはりマイナス思考なところです。自己評価、自己肯定感が低く、自分自身を否定的に見てるんでしょうね。

– そのような性格は、どこから来ていると思われますか?

子どもが生まれてから育児書などを読むと、子どもを認めることが大事とあり、そういえば自分は子供時代に認められていなかったなと感じました。

– あまり褒められた記憶がない?

母親がいわゆる教育ママで、さらに兄が非常に勉強のできる人でした。私が音楽の道に進んだ気持ちの根底には、兄と比べられることが嫌だというのがあったんだと思います。

– ご両親はあまり好きではない?

今は好きですよ。大人ですし。ただ、あの頃の母は嫌だったとはっきり言ったことがありました。私はすごく悲しかったんだと。

そうしたら、母も自分が間違えていたと言ってくれて、少し楽になりました。今はそういう話を直接できる、姉妹のような関係です。

– お子様にはどんな大人になって欲しいですか。

納得できる人生なら何でもいいと思います。世界のどこに住んでいても、結婚してもしなくても、どんな職業でもいい。母が自分に引いたようなレールは引きたくないですね。

– 今までの人生で一番嬉しかったことは何でしょうか。

1つは娘が生まれたこと。もう1つは、ずっと憧れていたオーケストラにエキストラとして参加して演奏できたこと。結局、それが最後の仕事でしたね。

– いつかまた音楽の仕事をしたいと思いますか?

そうですね。もちろん子どもは可愛いですが、あの頃の充実感は何物も埋めることができないと思います。ブランクも長いし、現実的には難しいと思いますが、「あの頃はよかった」なんて生き方は嫌ですね。

– いつか日本に帰ってきたいとは思いますか?

思いません。それは思わないですね。

Photos by Moyan Brenn / ThruTheseLines / Matthew Paul Argall