N・Oさん 50歳男性 会社員
出身:東京都
居住:東京都
学歴:大学中退
家族:妻、息子(4歳)
家族構成:父、母、弟
年収:600万円
手取り1200万円、人月500万円、3日で120万円の豪遊。華やかなりしITバブル
– 社会人8年目で独立されたとのことですが、それまでは何を?
大学中退後ソフトハウスに就職したのですが、そこの役員が不正行為を働き、社内が混乱に陥りました。私は入社して2年半くらいだったのですが、5名ほど部下がおり、全員を連れて取引先に転職しました。1年くらい経った頃、またそこの取引先から引き抜きを受け、今度は私だけ転職。3年くらい在籍し、独立しました。
– 独立のきっかけは?
所属していた部署を分社化する話があったのですが、これもまた取引があった某IT企業の営業部長だった方から魅力的なオファーを頂いたのです。分社した会社とコンサル契約を結ぶというものでした。形式上は契約社員なのですが、身分はフリーランスでしたね。3年目に会社化し、15年続けました。
当時はITバブル全盛で、羽振りがよかったですね。
– ITバブルとは、どういう時代でしたか?
1つの仕事で億単位のお金が動いていましたね。今は大手のSIerでも、人月は最高で140~180万円くらいかと思いますが、当時は軽く500万円はありましたから。システムも、ハードウェアとの抱き合わせでバックマージンもらったり。手取りで1,200万円くらいありましたかね。遊び方も派手で。今思えば夢のような時代でしたよ(笑)
– 具体的にどんな遊びを?
たとえば、キャバクラで朝まで飲んでいると「今から旅行行こう」という話になるんですよ。で、5人くらい連れて温泉に行く。女の子たちは仕事なので翌日帰るんですが、私は残って。夜には温泉のコンパニオンさんを呼んで、そのまま2泊しちゃったり。3日で120万くらい使ったかなぁ。馬鹿なことしてましたねぇ。今ではありえないですね。
– どうして会社を畳まれたのですか?
私が39歳の頃、誘ってくれてずっとパートナーとしてやっていた方が急死したんです。私は技術屋なもので営業は苦手で、全部その方にお任せしていたんですね。何せ営業部長でしたから。でも亡くなってしまいバランスが崩れました。自分で営業することも考えましたが、両立は無理だなと。
– もし亡くなっていなかったら、今でもやっていると思いますか?
間違いなくやってるでしょうね。あの日のことは忘れられません。朝、「具合悪いからちょっと病院行くわ」と電話をもらい、翌日ご家族から「手術をすることになった」と連絡を受けました。10日後くらいでしたかね。もうお葬式でしたから。
精神的なショックがかなり大きかったですね。しばらく放心状態で、やっぱり会社はもう無理だなと感じました。
バンドのためにC言語を独学で習得。ネットもないため本を読み漁った
– 技術はどうやって学ばれたのですか?
大学で電気工学を専攻していたのですが、あまり学校に行かずバンドに夢中でした。当時、音響機器にコンピューターが使われはじめた頃で、それを覚えたくて。独学でCやアセンブリを学びました。
– 独学とはすごいですね。
カーニハン&リッチー(ブライアン・カーニハンとデニス・リッチー。C言語の開発者)の初版でしたからね。当時はインターネットもないから、言語を学ぶとなると書籍を片っ端から読むしかありませんでした。それでアルバイトでプログラミングの仕事もするようになって。大学中退後に就職したソフトハウスも、学生時代からアルバイトしていた会社です。
– バンドではどんな音楽を?
ヘビメタです。レッド・ツェッペリンのロバート・プラントに憧れてはじめました。一応、本気でプロを目指してましたよ。「全国ツアーだ!」なんて息巻いて、日本全国のライブハウスを回ったり。私はボーカルだったのですが、今考えても演奏はそこそこ上手だったと思います。現在活躍しているミュージシャンの中にも、当時一緒にやっていた方もいますよ。
結婚20年目。45歳にして待望の長男誕生
– ご結婚はいつ頃?
25歳です。家内は、当時働いていた会社のアルバイトをしていた短大生でした。20歳の誕生日を待って結婚しましたね。
– お子様が現在4歳とのことですが。
はい。欲しくて頑張っていたのですが、ずっとできなくて。もう2人でいいね、なんて諦めようと話していた矢先に、家内が深刻な顔で「子どもができた」と。彼女も当時40歳くらいでしたから、結構な高齢出産で。不安もありましたが、母子ともに健康で生まれてきてくれました。
– それは嬉しかったでしょうね。
「できた」と言われた時は、実感はなかったんです。実は、はじめて抱っこした時も父親になった実感が沸かなかった。子どもが自分の顔を認識して、何か言ってくれた時に本当に嬉しさを感じましたね。
– お子様が生まれてから生活は変わりましたか。
やはりお金を貯めないといけないなと。今まで2人で暮らしていければいいと思っていたので、それほど貯金も考えていなかったんです。でも、子どもが高校行って大学行って……。もう意識せざるをえないですよね。小遣いが3分の1になっても仕方ないと(笑)
– 息子さんにはどんな大人になって欲しいですか?
自分も親に好き勝手やらせてもらったので、息子にも思う存分やって欲しいと思います。どんなことが好きなのか、何になりたいかはまだわからないでしょうが。あとは、長生きして欲しいかな。
音楽に出会っていなければ、違った人生が待っていたかもしれない……
– もし戻れるなら、何歳くらいがいいですか?
中学生くらいですかね。
– それはなぜでしょうか。
自分の人生を振り返ると、バンドで挫折、起業で挫折しているわけですね。それを考えると、中学時代に音楽に興味を持たなければよかったんじゃないかという気持ちはあります。
もし違う目標を持っていたら、こんな挫折感を味わわずにすんで、もっと平たく生きていけたんじゃないかなんて。
– 音楽に出会わなかったらどんなことをしていると思いますか。
自分で言うのも何ですが、割と成績が良かったんですよ。中高とずっとトップクラスで。大学時代の友人は大手メーカーの役員などになっていますし、大学でちゃんと勉強していれば自分にもそういう人生があったんじゃないか、とか思うこともありますね。
– これからの人生の目標を教えてください。
子どもが高校、大学に行けるよう頑張って働くことかな。でもやっぱり、もう一旗揚げてやろう、起業してやろうって気持ちもなくはないですかね。
あとは月並みですが、息子と一緒に酒を飲みたいかな。私はもう飲めないんですが。
– それはどうして?
45歳の頃、夜中に激痛が走って救急車で運ばれたんです。そうしたら病院で胆嚢ガンだと診断され、すべて切除することになりました。日常生活に支障はないんですが、酒は飲めず、脂っこいものも食べられなくなってしまいましたね。
– 長生きをしたいと思いますか?
昔は50歳まで生きてりゃいいかなんて思っていましたが、今は子どもの成長をなるべく長く見ていたいと思います。随分変わりましたね(笑)
Photos by Nick Ares / Jeff Dlouhy / John Mettraux